bingxiang/冰箱

「ビンシャン」と読みます。中国語で冷蔵庫のことです

マインド・ザ・ギャップ 5

今度の土曜日、ぼくは自分が所属しているグループのウェブサイト作りについて、共に作業をするスタッフとZOOMで会議をすることになった。それでぼくもこの機会に改めて自己紹介をする予定だ。自己紹介か……いったい何を話すべきか、それをいまあれこれ考えている。

そもそもなぜぼくがそのグループに参加し、そしてウェブサイトで(まさにこんな風に)発達障害について発信したいと思っているのか話すのがいいのかもしれない。ぼくは昔から、音楽や文学の趣味において人と異なるところがあった。皆が読む国民的なマンガ(『ドラゴンボール』などだ)にぜんぜん乗れず、むしろ活字で書かれた本を静かに読むのが好きだったのだ。そこから、「なぜぼくは人と同調できないのだろう?」と思い始めた。

凡庸な表現になるけれど、本を読むこととはとりもなおさずその本と(つまり著者、もしくはその本を読んで『感じた』もうひとりの自分と)対話を試みることだとぼくは思っている。食べ物を食べることで栄養を取り入れて体を活性化させるように、思考やアイデアを取り入れることは精神を活性化させることにつながる。そして、そのようにして活発になったぼくの精神からはいろんなアイデアのかけらが湧き出てくる。それを外に向けて発信する。それがぼくが興味を持っていることだ。

では、どういった分野でぼくの中のアンテナは反応するのだろう。発達障害と、それ以外では……それは端的に「対話(コミュニケーション)」についてかなと思っている。つまり、柄谷行人的な言い方をすれば「他者」「世界」の異質さに触れることだ。でも、なぜだろう。

考えてみればぼくにとってはこのぼく自身こそが「他者」だった。一時期、ぼくはずっとこの自分自身の変な性質に悩み、その自分を根本的に変えてしまいたいと自己啓発の高価な本を買い込み、試みたことがある。それは虚しく終わり、ぼくは「結局この自分と一生つき合っていかないといけないのだな」と途方に暮れたことを思い出す。ああ、何とつらいことだろう。自分が自分であることに絶望するなら、その自分を消してしまうことしか解決の方策はないんじゃないだろうか……。

なんだか話がどんどん救いのない方向に行ってしまう。でも安心してほしい。いまはほんとうに気の置ける仲間(発達障害絡みで関わる人たち、など)との絆を確かに感じる。ぼくの人生はこの地点から振り返ってみると、実にしっちゃかめっちゃかに生きてきたようで1本の道を描いているようにも思う。断酒して、恥の記憶を人に語ること。英語を学び人と会話を楽しむこと、こうしてさまざまなことを思いのままに書くこと……みんな根本的なところで「他者」との「コミュニケーション」として通底していることに気づく。

そんなことをぼくはこれまでずっと考えてきた。そして、金になるならないにとらわれずこれからもぼくはこんなことを考えて生きていく。